保永さんについてみなで語り合いましょう
愛車の中は超ヤニ臭いと言う話
海外青年協力隊でメキシコに行くと誤魔化した
プロレス入りしたのを親が知ったのは
高田とのタッグでテレビに出たのを近所の人が教えてくれた
意外だ
坂口に「これに参加するのが残留の意思だと思われたくないので帰ります」
と言って帰ってしまったという実話
ビビるww
WJで給料が遅延になった時に俺は自分とカミさんしか
居ないからいいけど子供が居たら大変だよって言ってたな
先日の長州引退試合とゼロワンにライガーが出た時はレフェリーやってた
自分たちには何も含む物がないから
保永さんに戻って来てほしいって
言ってたけど戻らなかったのが偉い
今は何されてる?
入門した後は藤原教室の優等生で高田よりセンスが
あるって言われてたけど本人はU系のスタイルが大嫌いだという
91年のジュニアリーグ戦の保永と同年のG1での蝶野の優勝ブックを考えた人は神!
保永優勝蝶野優勝のブックを考えた人は同一人物かも?
今年のジュニアリーグとG1に例えると、金丸とジュースが優勝するような感じかな?
91年スーパージュニアの保永優勝って考えたの長州かゴマシオかライガー
か誰どうかな?
>>21
丁度その頃、関西のかなり大きなプロレス同好会にいて
親交のあった他の同好会とも優勝の事前予想したんだけど
まさかの保永プッシュが始まるとはあの当時のマニア連中でも誰も思いつかなかった
あの当時に保永プッシュ予測できた人はいたんだろうか
確かその後二冠王になったのかな
いつの間にか本隊と合流していたような感じがする。
海外遠征前も何も壮行試合もせず、雑誌にも載らずメキシコに行って、特に活躍のフォトとかも紹介されず
ひっそりと帰国。その帰国試合でフォール負けだもんな。そういういきさつを見てるだけあって
ライガーを破ってのチャンピオンは嬉しかったよね。
細かいことだがスーパージュニア優勝当時は
まだブロンドアウトローズ。
レイジングに改名したのは92年頃?
91年4月だから、ブロンドアウトローズ
エントリーされながらも不戦敗扱いだからね。不遇の時代が長かったよね
長州がブック書くようになってプッシュされた
安田が長州とパチンコ行くと保永が箱を変えてたて
リーグ戦優勝者は初戦で負ける法則
実を言うと保永も初戦はフォール負け(対ペガサスキッド)している。
そして決勝トーナメントでの再戦はフォール勝ち
ヒロ斎藤の40周年記念試合、保永がレフリーなら良かったのに。蝶野が嫌いなわけじゃないが。
▼メインイベント6人タッグマッチ60分1本勝負(特別レフェリー・蝶野正洋)
〇ヒロ斎藤、武藤敬司、天山広吉(16分55秒、セントーン→片エビ固め)●藤波辰爾、獣神サンダー・ライガー、越中詩郎
テレビ中継で負けた直後くらいに。
保永のサインって結構レアだったんだと後で知った。
マサ斉藤が保永の試合を解説してて、
田畑アナ「大谷のボストンクラブが、がっちり決まったー!」
マサさん「いや、保永が腹に片手を入れてるでしょ?あれで半身になるから、身体がひっくり返りきれてないんですよ」
この話でマサさんも保永も好きになった
気になる
今は知らないけど
ほとんど映らなかったな。
派手な技も無いけど試合は面白かったな
あとやっぱりこの人と言えば急所攻撃
新日本プロレスならではだな。
繰り返さないでやめちゃうんだよな。自分の役まわりを徹底していた。
レイジングスタッフが解体された後くらいから、ヤングライオンでも特に石沢を気にかけて、試合会場の通路とかでよく教えてたりしてたらしい
どこかの雑誌に馳の手記が載ってた
「保永さんが一生懸命だったから、何も口を挟まず任せよう」と
無理してヒールやってるより、そういう保永がが好きだったな
引用先:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1568025905/
まとめくす:https://2mtmex.com/