高視聴率を記録した8年3か月ぶりのゴールデンタイム生中継
今から21年前の2000年、テレビ地上波放送で8年3か月ぶりにプロレスのゴールデンタイム生中継が行われた。「ワールドプロレスリング」を放送するテレビ朝日が4月7日、「橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退!スペシャル」と題した特番を東京ドームからオンエアしたのである。
94年バルセロナ五輪柔道銀メダリスト・小川直也と橋本の抗争は、97年4月の小川プロレス初参戦から続いていた。「負けたら即引退!スペシャル」までの戦績は、橋本の1勝3敗。この年の1・4東京ドームでは両雄がタッグ(橋本&飯塚高史組VS小川&村上一成組)で対戦し、パートナー同士で決着(飯塚がスリーパーで村上に勝利)。両者はアントニオ猪木とジャニーズの滝沢秀明がエキシビションマッチを行った力道山OB会「第2回メモリアル力道山」3・11横浜アリーナで初タッグを結成。天龍源一郎&BB・ジョーンズ組と対戦したが、橋本が村上に襲撃されたことから敗北を喫してしまった。試合後、橋本は新日本4・7東京ドームに決まっていた小川戦に引退を懸けると宣言。これをきっかけに、「負けたら即引退!スペシャル」が“企画”されてしまったのである。
センセーショナルかつショッキングなタイトルがつけられた番組は、世間でも評判を呼び高視聴率を記録した。しかも大半の人たちが予想していた引退回避のハッピーエンドはもろくも崩れ去り、橋本が小川に衝撃のKO負け。闘魂三銃士の1人として新日本を支えていた橋本は、“即引退”を余儀なくされてしまうこととなる。ちなみに、同大会での闘魂三銃士は武藤敬司がグレート・ムタとしてアメリカWCWから逆上陸、蝶野正洋との一騎打ちで反則負けを喫した。
橋本の引退に加え、00年のプロレス界にはもうひとつ衝撃的な事件が発生した。長きにわたり日本のプロレスシーンを新日本とともに二分していた全日本プロレスが分裂してしまったのだ。しかも、三沢光晴を筆頭とした大量離脱により、全日本には渕正信、川田利明、マウナケア・モスマン(8・20後楽園で太陽ケアに改名)の3人しか所属選手がいなくなってしまった。6月16日、三沢らがNOAHの設立を発表。全日本は大量離脱後の初興行を7月1日に開催するが、皮肉にもこれがディファ有明のこけら落とし興行でもあった。翌日、天龍が古巣への協力を表明し、7・23武道館に参戦。天龍は川田とのタッグでスタン・ハンセン&モスマン組と対戦した。31日には馬場元子夫人が新社長に就任、団体は興行でのライバルだった新日本との対抗戦に生き残りを懸けることとなる。
まずは新日本8・11両国に渕が来場し、長州力と握手。全日本9・2日本武道館で対抗戦がスタートし、蝶野が王道マットに参戦、渕を破ると、続いては川田が新日本10・9東京ドームに参戦する。
同大会で川田は、IWGPヘビー級王者で夏の「G1クライマックス」も制していた佐々木健介と一騎打ち。健介は同年1・4ドームで天龍を破り、新日本の至宝を団体に取り戻していたのだが、川田戦に敗れ同王座を返上する。IWGPヘビー級のベルトは空位となり、その後トーナメントを開催。新王者誕生は、翌01年1・4東京ドームまで待たなければならない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7a2b3be7b99862d2bd09da4b43f5cba9121e8704
4/10(土) 10:10配信
https://www.youtube.com/watch?v=dIUG_JcPAYM&t=187s
S.T.O. 小川直也のテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=wSVMEZSYlgY
橋本真也 入場曲
「負けたら引退」って言われたら、ああ橋本負けて復帰する企画なんだなってのはすぐ分かるわけだから面白くなかった。
このドーム大会には橋本がカムバック。復帰への道もテレビ地上波放送がきっかけになった。テレビ朝日「スポコン!」で復帰を願う橋本ファンの兄弟が大量の折り鶴を作る姿が紹介され、これを見た橋本が復帰を決意したのである。橋本は復帰戦で藤波辰爾を破ると、団体内独立を宣言。10月23日に「ZERO」の設立を発表、他団体との交流を行うとしたのだが、現場監督・長州と意見が対立。11月13日には新日本が橋本に解雇を通達した。しかし、12月20日には橋本が新団体ZERO-ONEの設立を発表、これが翌01年3月両国での旗揚げ戦につながっていくこととなる。橋本は、NOAH初のビッグマッチ12・23有明コロシアムに特別参戦、大森隆男とのシングルマッチに勝利した。
橋本と対立した長州だが、新日本7・30横浜アリーナで2年7か月ぶりに現役に復帰した。相手は再三にわたり対戦を迫られていた“邪道”大仁田厚。長州は5月22日に対戦を受諾、6月30日には試合前の会場にやってきた大仁田に対し、フェンス前で「またぐなよ」と言い放ち追い返すハプニングも。復帰戦の試合形式は、大仁田のフィールドに入るノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチだったが、長州は一度も爆破を浴びることなく完勝。長州は現役選手&現場監督として活動していくこととなる。
マジか。
今なお〝伝説のセメントマッチ〟として語られる1999年1月4日、東京ドーム大会における小川直也VS橋本真也。当時、プロレス界のトップの1人であった橋本を一方的に蹂躙した小川が、ファンに投げかけたものとはいったい何だったのだろうか。
リング外の花道で大の字になる橋本真也を横目に、小川直也は両手を水平に広げた飛行機ポーズでリング上を周回する。マイクをつかんだ小川は、予想外の結末にざわつく場内を見渡しながら言い放った。
「もう終わりかよ! おいおいおい、冗談じゃねぇよ、オラッ! 新日本プロレスファンの皆様! 目を覚ましてください!」
ところがPRIDEではヒョードルに逆十字であっさり負けてガックリきたよ
プロレスラー相手にいきるしかできないってのは柔道界にとって負
金メダリスト石井でも打撃恐怖症であのザマよ
3回目のシングルでとっくに飽きられてて(小川個人も)テンコジより前の試合だったのに!?
>>99
馬場がいる限り全日を放送する約束があったが亡くなった
三沢の新団体を放送するには、ほぼ全員の移籍が放送条件だったんだよ
で、考え方が合わなくなってた川田と渕はハブられ、それ以外は三沢が誘って付いていった
最初は数人連れて出ていくとか居酒屋やるとか美談風に語ってたが全部計画通りなんだよな
それなのに「付き人も残らねえんだから(笑)」とか川田をネチネチ攻撃してたな三沢とその一派
後々暴露されてたけど、仲田に唆され神輿になってたが大した人間じゃなかった
あれの特訓をするってVTRをトニーホーム戦の試合前に流してたけど
カメラが特訓相手の鎌の達人目線になって
振り下ろされる鎌をシュッ!シュッ!とか言いながら左右に避けるヒゲ面の橋本の姿に
横浜アリーナが大爆笑になってた
長州力より強かったから。
日本もそうだけどアメリカの興行戦争も凄かったね。
当時はWCWがnWoの大人気でWWFは押され気味だった。
でもnWoが飽きられてWWFの仕掛けが成功するようになると立場が逆転。
日米同時でプロレスが熱い時代だったなと。
リングの魂もこの時期だったな
んなわきゃない
衰退してたからこんな企画しなきゃならなかった訳で
総合人気に押されて迷走が始まったころ。暗黒一歩手前でボロボロだよ
純粋に盛り上がってたのはタイガーマスクや新国際軍団や藤波長州の時代
古舘が実況、視聴率は20%超えも当たり前、週刊プロレスがバカ売れしてた頃
この辺は最高に盛り上がってたな
人格が破綻してた破壊王だからw
修行の外国でもトラブルがあって某レスラーが
「新日の海外遠征サーキットは橋本が潰した」と証言してた
ストロングプロレスにこだわらなかったら
橋本が勝ってたと思う
藤波をボコボコにしたようにひたすら蹴りまくってたら、小川を一方的にやれた
ただ猪木のプロレスが相手に見せ場を与えるものだから、小川が勝てる余地ができた
元子体制のまま行ってたら、全日の看板がもっと早くなくなってたろうよ
ゴマシオ曰く恐れ入谷の鬼子母神だぞ
絶対なにかやってた
武藤という手も今にして思えば悪くない
日テレも手際が良かったよなあ
まあでも三沢が参加した最後の全日の武道館には
実況から退いていた福澤とかも駆けつけていて
プロレスマスコミも何かあると思っていたみたいだし
水面下でお膳立てはもう出来た状態で
三沢は全日をやめたんだろうねえ
昔、馬場が日本プロレスに対してやった手だよ。
あの時も黒幕は読売
>>29
そもそも90年代の全日の人気を保っていたのは
三沢だからな
その三沢が抜けるってなったら
殆どの選手は動揺するし、付いていくわな
今東スポで元子を振り返る連載記事やってるが、それ読むとまあ元子の下ではやってられなかっただろうなあと思う
折り鶴兄弟や真鍋アナと大仁田厚のやりとりとか見てた
残った川田と渕には頑張れと思った
馬場婦人の噂は当時から有名だったので、元子がいる全日を応援するには、全日の全盛期を知る人間のノスタルジーで観るぐらいしかなかったよ
大ブーイング浴びて入場したのに
一瞬で会場全員が渕の味方になった
身長高いからスーツ姿がはまるんだよね
渕はジュニアヘビーなのに新日のヘビー級の連中より背が高く見えた
「蝶野、忘れもんだ」の決めが良かったね。
、渕はスーツ姿でリングに上がり「30年の長い間、全日本プロレスと新日本プロレスとの間には、厚い壁がありました。今日、その壁をぶち破りに来ました。全日本プロレスは選手2人しかいませんが、看板の大きさとプライドは新日本に負けてはいない!」と歴史に残るマイクアピールを行い、新日本プロレス現場責任者(当時)の長州力と固い握手を交わした。またこのとき現れた蝶野正洋が「ここはテメェの上がるリングじゃねぇんだオラ! とっとと降りろ!」と激怒して被っていた帽子を投げつけたが渕は余裕綽々の態度を崩さず、蝶野の帰り際には「蝶野、忘れ物だ」と帽子を放り返し、格負けしない振る舞いを見せ付けた。最後には「我々は逃げも隠れもしない! 蝶野、来るなら来い!」「新日本プロレスのファンの皆様、どうも大変お騒がせしました」としめくくったことから、会場からは異例の大「フッチー」コールが沸き起こった。
すげえな渕も蝶野も
これがプロレスラーというやつか
こういう人をスターに出来なかった全日の弱さだよな
新日は不器用な藤原もスターにしたのに
じゃあPRIDEの人気に火がついたのは幾つくらいかとゆったらPRIDEナンバー20以降でスターだった桜庭が下降線になってく頃なんだよね
ほとんどの選手が三沢に付いて行ったのはそういうことや
仲田龍曰く、三沢と楽隠居する予定だったから迷惑でしかなかったそうだ
田上明曰く、誰とは言わないがレスラー内にお調子者がいて、そいつが勝手に動いてなんだか本人も知らない内に移籍が決まってた
池田大輔とか愚乱・浪花とか、記者会見の場で初めて知ったレスラーまでいた始末
だそうだ
誰とは言わないがそれは永源のことか
新弟子の杉浦だけ連れて行く予定だったと聞いたな。
体重キチンと乗せて、叩きつけるまでロック外さないからモロに後頭部にダメージ与えるし。
新技って初めに受ける人は怖いよね
武藤のシャイニングウィザードも初めに受けた飯塚は大怪我してるし
小橋の新技受けた金丸は失神して即封印したっけ
ブライアン・ジョンストンがもろに食らってかわいそすぎたw
魔界倶楽部とかやり出した頃にはもうPRIDEとK-1しか見てなかった
自分も魔界倶楽部や永田中西あたりから新日は見なくなったな
対照的にNOAHが面白くて武道館大会は必ず見に行ってたわ
小川vs橋本で考えが変わった。
橋本、飯塚VS小川、村上はタッグマッチのベストバウトの一つ
引用先:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1618097815/
まとめくす:https://2mtmex.com/