1: ID:APirBuYf9< />
デイリー新潮7/25
https://www.dailyshincho.jp/article/2026/07250701/
女子プロレス人気が、再び活況を呈している。レジェンドの一人、元クラッシュ・ギャルズの長与千種にインタビューした時のことである。「プロレスラーになろうと思ったきっかけ」について、強さへの憧れや金銭面の充実以外に、こう付け足していた。「ビューティ・ペアさんがいらっしゃったでしょう? あの歌を聞いたら、『私にも出来るだろう』と(笑)」
ビューティ・ペアは、1970年代後半に一世を風靡した、ジャッキー佐藤とマキ上田のコンビである。デビューシングルの「かけめぐる青春」が80万枚のヒットを記録し(※1)、リング上でも歌を披露することで会場は鈴なり超満員に。女子プロレスの第一次黄金期を築き上げ、その後のクラッシュ・ギャルズなど、「歌う女子レスラー」のひな型ともなった。とはいえ、前出の長与の評価の他、名付け親の、こんな発言もある。
〈ビューティという名称は、決して彼女たちの顏がビューティだからつけたんじゃなく、試合ぶりがきれいなのでつけたんです〉(フジテレビ・吉田斎ディレクター。※2)
歌唱力、美貌にことさら秀でていたというわけでもないビューティ・ペアは、なぜ大いに売れ、一大ブームを興せたのか? 1976年発売の「かけめぐる青春」が発売された1976年から、今年は50年。その理由を解明したい。(文中敬称略。役職は当時)
ジャッキー佐藤こと、佐藤尚子は1957年、神奈川県生まれ。幼い頃からスポーツ万能で、高校時にはバスケットボールの選手として注目され、第一勧業銀行から社会人チームへ誘われたホープだった。ところが高校の卒業式直前に家出。そのまま全日本女子プロレス(以下、全女)に入門してしまった。半年前から「弟の家庭教師をするから、お金をちょうだい」と頼み込み、身の回りの物は次々と売ってしまっていた。後に母親が見せられたジャッキーの日記帳には、こう書かれていたという。
〈プロレスは5年で辞める。その間にお金を貯める〉〈店を出す資金一千万〉〈いずれは小説家に〉
独立心旺盛な人生設計を踏まえた行動だったのだ。
マキ上田こと、上田真基子は、ジャッキーより2才下の1959年、鳥取県生まれ。高校時代に不良の仲間入りをし、不登校に。働くために手に職を付けねばだが、本人は「東京に行きたい」と言う。心配した両親が電話をかけた先が、東京の全女だった。父親がプロレスファンだったのだ。こちらは珍しい、親の勧めでのプロレス入りだった。
つまり、2人とも、プロレスに人生を賭けるような強い思い入れはなかったのである。アイドルや歌手になるに至っては言うまでもない。しかし、運命が2人を巻き込んで行く。2人がレスラーデビューした翌年の1976年2月末、ある人気女子選手が失踪してしまう。それが、マッハ文朱だった。
マッハ文朱は、もともと歌手志望で、オーディション番組では、あの山口百恵と争った逸材だった。それが女子プロレスに転身し、時にはリングで歌も披露。同団体を不定期で放映していたフジテレビでその模様は流され、人気を博した。
ところが1976年2月末、彼女は失踪する(事実上の引退)。すると、全女はフジテレビから、次代の歌える選手を出演させるように要求される。実はフジの「全日本女子プロレス中継」は、同局スポーツ部の制作ではなく、芸能部のそれだったのだ。すなわちフジテレビは女子プロレス中継を、あくまで芸能番組と捉えていたのである。
そこで白羽の矢が立ったのが、佐藤と上田だった。レコードの吹き込み日は1976年9月29日。「かけめぐる青春」作曲家の述懐がある。
〈“歌をまったくやったことのない人たちなので、簡単な曲を”ということで依頼を受けました。2人とも確かに上手とはいえませんでしたが〉(作曲家:あかのたちお。※3)
当時の全女は年間250試合ペースで全国を巡業しており、この歌を覚えるのも一夜漬けだったという。ましてや振り付けの習得はとても無理で、振り付け師が全女の興行について行くことになった。それでも正式な発表日には間に合わず、一日遅れてリングでのお披露目となった。
■人気は関東から……
しかし評判は散々。当時の女子プロレスの観客層は主に中年男性で、ましてや歌謡ショーを観に来ているわけではない。「下手くそ!」「とっとと引っ込め!」など、野次もえげつなかった。レコードの発売(1976年11月25日)から3ヵ月後、ビューティ・ペアは沖縄巡業に向かう船の中で、上層部に直談判する。
※以下引用先で
https://www.dailyshincho.jp/article/2026/07250701/
女子プロレス人気が、再び活況を呈している。レジェンドの一人、元クラッシュ・ギャルズの長与千種にインタビューした時のことである。「プロレスラーになろうと思ったきっかけ」について、強さへの憧れや金銭面の充実以外に、こう付け足していた。「ビューティ・ペアさんがいらっしゃったでしょう? あの歌を聞いたら、『私にも出来るだろう』と(笑)」
ビューティ・ペアは、1970年代後半に一世を風靡した、ジャッキー佐藤とマキ上田のコンビである。デビューシングルの「かけめぐる青春」が80万枚のヒットを記録し(※1)、リング上でも歌を披露することで会場は鈴なり超満員に。女子プロレスの第一次黄金期を築き上げ、その後のクラッシュ・ギャルズなど、「歌う女子レスラー」のひな型ともなった。とはいえ、前出の長与の評価の他、名付け親の、こんな発言もある。
〈ビューティという名称は、決して彼女たちの顏がビューティだからつけたんじゃなく、試合ぶりがきれいなのでつけたんです〉(フジテレビ・吉田斎ディレクター。※2)
歌唱力、美貌にことさら秀でていたというわけでもないビューティ・ペアは、なぜ大いに売れ、一大ブームを興せたのか? 1976年発売の「かけめぐる青春」が発売された1976年から、今年は50年。その理由を解明したい。(文中敬称略。役職は当時)
ジャッキー佐藤こと、佐藤尚子は1957年、神奈川県生まれ。幼い頃からスポーツ万能で、高校時にはバスケットボールの選手として注目され、第一勧業銀行から社会人チームへ誘われたホープだった。ところが高校の卒業式直前に家出。そのまま全日本女子プロレス(以下、全女)に入門してしまった。半年前から「弟の家庭教師をするから、お金をちょうだい」と頼み込み、身の回りの物は次々と売ってしまっていた。後に母親が見せられたジャッキーの日記帳には、こう書かれていたという。
〈プロレスは5年で辞める。その間にお金を貯める〉〈店を出す資金一千万〉〈いずれは小説家に〉
独立心旺盛な人生設計を踏まえた行動だったのだ。
マキ上田こと、上田真基子は、ジャッキーより2才下の1959年、鳥取県生まれ。高校時代に不良の仲間入りをし、不登校に。働くために手に職を付けねばだが、本人は「東京に行きたい」と言う。心配した両親が電話をかけた先が、東京の全女だった。父親がプロレスファンだったのだ。こちらは珍しい、親の勧めでのプロレス入りだった。
つまり、2人とも、プロレスに人生を賭けるような強い思い入れはなかったのである。アイドルや歌手になるに至っては言うまでもない。しかし、運命が2人を巻き込んで行く。2人がレスラーデビューした翌年の1976年2月末、ある人気女子選手が失踪してしまう。それが、マッハ文朱だった。
マッハ文朱は、もともと歌手志望で、オーディション番組では、あの山口百恵と争った逸材だった。それが女子プロレスに転身し、時にはリングで歌も披露。同団体を不定期で放映していたフジテレビでその模様は流され、人気を博した。
ところが1976年2月末、彼女は失踪する(事実上の引退)。すると、全女はフジテレビから、次代の歌える選手を出演させるように要求される。実はフジの「全日本女子プロレス中継」は、同局スポーツ部の制作ではなく、芸能部のそれだったのだ。すなわちフジテレビは女子プロレス中継を、あくまで芸能番組と捉えていたのである。
そこで白羽の矢が立ったのが、佐藤と上田だった。レコードの吹き込み日は1976年9月29日。「かけめぐる青春」作曲家の述懐がある。
〈“歌をまったくやったことのない人たちなので、簡単な曲を”ということで依頼を受けました。2人とも確かに上手とはいえませんでしたが〉(作曲家:あかのたちお。※3)
当時の全女は年間250試合ペースで全国を巡業しており、この歌を覚えるのも一夜漬けだったという。ましてや振り付けの習得はとても無理で、振り付け師が全女の興行について行くことになった。それでも正式な発表日には間に合わず、一日遅れてリングでのお披露目となった。
■人気は関東から……
しかし評判は散々。当時の女子プロレスの観客層は主に中年男性で、ましてや歌謡ショーを観に来ているわけではない。「下手くそ!」「とっとと引っ込め!」など、野次もえげつなかった。レコードの発売(1976年11月25日)から3ヵ月後、ビューティ・ペアは沖縄巡業に向かう船の中で、上層部に直談判する。
※以下引用先で
プロレスラーなのにデビュー曲が“80万枚”大ヒット! 「ビューティ・ペア」が女子中高生を熱狂させた背景に“人気漫画の舞台化”があったhttps://t.co/mEjfkevwZR#デイリー新潮
— デイリー新潮 (@dailyshincho) July 24, 2026
4: ID:TidZwUHb0
クラッシュギャルズは曲出してたっけ?
5: ID:Ey92Pq1k0
>>4
炎の聖書な 割りと好き
炎の聖書な 割りと好き
73: ID:0yDIJt7E0
>>5
嵐のレジェンド
東京爆発娘
長与はめちゃくちゃ打た上手いぞ
TUBEのあー夏休みが十八番
嵐のレジェンド
東京爆発娘
長与はめちゃくちゃ打た上手いぞ
TUBEのあー夏休みが十八番
274: ID:8Ldx671q0
>>5
昭和のヒットメーカーが作詞作曲の名曲
作詞:森雪之丞,作曲:後藤次利
昭和のヒットメーカーが作詞作曲の名曲
作詞:森雪之丞,作曲:後藤次利
9: ID:BpxBbgUx0
>>4
マットが赤い薔薇に染まる瞬間♪
て試合前に必ず歌ってたあれはシングルになってたんじゃね?
マットが赤い薔薇に染まる瞬間♪
て試合前に必ず歌ってたあれはシングルになってたんじゃね?
34: ID:MWEB3Tk70
>>4
知らんけどちょっと売れたらすぐ歌も出そうって時代だったよな
知らんけどちょっと売れたらすぐ歌も出そうって時代だったよな
11: ID:9W/dlbiI0
あまり詳しくはないけど
ビューティーペア
↓
クラッシュギャルズ
↓
パイレーツ
の流れ?
ビューティーペア
↓
クラッシュギャルズ
↓
パイレーツ
の流れ?
52: ID:GUlIUZLD0
>>11
パイレーツ後は森三中かな?
パイレーツ後は森三中かな?
12: ID:l55CvO4E0
ごっつええ感じのビューティペアのパロディは酷かったな
169: ID:czTSGqfx0
>>12
ビューティペアといえばそれしか浮かばん世代だ
ビューティペアといえばそれしか浮かばん世代だ
15: ID:p3xP3Bv70
芸スポだとクラッシュVSダンプの抗争のほうが記憶に残ってるだろうなあ
あれがゴールデンタイムにやってたんだから凄いよ
あれがゴールデンタイムにやってたんだから凄いよ
17: ID:prBjtMsf0
当時はピンク・レディーと同じくらい人気あった
俺は池下ユミが好きだったけどね
俺は池下ユミが好きだったけどね
18: ID:5ioGnXVb0
ジャッキー佐藤は自分が強いと勘違いしちゃったのがね
ガチガチのアスリートだった神取との差は明白だった
北斗もそう いい試合だったけど神取との力の差は大きかった
ガチガチのアスリートだった神取との差は明白だった
北斗もそう いい試合だったけど神取との力の差は大きかった
174: ID:TEIzNFG00
>>18
神取に対応できたのは受けのプロレスの天才長与千種だけだったと思うわ
若い頃に試合しなかったのが惜しまれる
神取に対応できたのは受けのプロレスの天才長与千種だけだったと思うわ
若い頃に試合しなかったのが惜しまれる
22: ID:A41o7IhJ0
ボックスステップを日本に広めたのはこの人たち
ダンス界からも評価されていい
ダンス界からも評価されていい
23: ID:yZmikdIv0
うる星やつらは曲名をサブタイトルにしてる回が多くて
第一話が「かけめぐる青春」だった
第一話が「かけめぐる青春」だった
32: ID:Pkd5gqjX0
うる星やつら1話のサブタイトルの元ネタって書くと如何に古い話がわかると思う
27: ID:0DcXF8SJ0
歌としては炎の聖書の方が好きだけどビューティ・ペアの成功があって生まれた曲だよなぁ
29: ID:T+opsFIm0
歌は出さなかったが、極悪同盟のダンプ松本とブル中野はテレビドラマに出るくらい人気があったよね
実は元から極悪だったわけではなく普通の女子プロレス選手になりたかったそうで
実は元から極悪だったわけではなく普通の女子プロレス選手になりたかったそうで
37: ID:Ey92Pq1k0
>>29
収録の合間に中山さんと一緒にかかくれんぼしてた模様
収録の合間に中山さんと一緒にかかくれんぼしてた模様
40: ID:Q2iFBpES0
>>29
当時世代によっては馬場猪木以上に知名度あったと思う
当時世代によっては馬場猪木以上に知名度あったと思う
41: ID:RPAikvC10
極悪女王だとレスラーより経営者の三兄弟の方がキャラ立ってた
現実だともっと悪どそうな社長達
現実だともっと悪どそうな社長達
88: ID:kWtIH6cJ0
悪徳レフェリーを演じてた阿部四郎は本当は優しい人だった
42: ID:p3xP3Bv70
意外と歌が上手いプロレスラーは木村健吾かな 良い声してた
45: ID:DTG8pYXQ0
>>42
らしくもないぜ。
らしくもないぜ。
63: ID:/oguC8px0
>>42
ランバダのカバー曲も出してたな
ランバダのカバー曲も出してたな
134: ID:k8BBp/NS0
>>42
木村健吾じゃないけど、プロレス関連だとこれが意外と良い曲
それでも春には花が咲き♪ 秋には木の葉が舞い落ちる♪
時の流れは変えられないさ♪
ローリング♪ ローリング♪ 人は誰でもローリングドリーマー♪
木村健吾じゃないけど、プロレス関連だとこれが意外と良い曲
それでも春には花が咲き♪ 秋には木の葉が舞い落ちる♪
時の流れは変えられないさ♪
ローリング♪ ローリング♪ 人は誰でもローリングドリーマー♪
44: ID:SnFGfVOO0
マッチョドラゴンは売れなかったのか
48: ID:F7TL1tHV0
マッチョドラゴンってそもそも新日の試合会場でしか売ってなかったのでは
78: ID:rhq7Baf80
>>48
天下のポリドールレコード様からメジャーデビューしたのに
天下のポリドールレコード様からメジャーデビューしたのに
62: ID:DTG8pYXQ0
>>48
試合前の会場で橋本がマッチョドラゴンを大音量で流してたら、
藤波がステレオからそのカセットテープを取り出して、
無言で叩き壊したって逸話があったな。
試合前の会場で橋本がマッチョドラゴンを大音量で流してたら、
藤波がステレオからそのカセットテープを取り出して、
無言で叩き壊したって逸話があったな。
50: ID:Pwvs/XZR0
スキージャンプペアってパチンコ台で大当たりしたときにこの曲が流れてたな
57: ID:WMwrHEbP0
日本の女子プロレス界がやってることって基本この時代とほとんど変わらないからね
81: ID:gMFLwdKN0
曲は大ヒット。グッズは飛ぶように売れても、全女は選手たちにビタ一文と渡さなかったエピソード好き
82: ID:N9YUwifd0
記事読んでいったら、最後が悲しすぎ
(略)
そんなジャッキーが1998年、鳥取のマキの店まで駆け付けたことがあった。同店の10周年記念で、久々の再会となったが、「かけめぐる青春」を共に歌い、ジャッキーはこう言ったという。
「ビューティの相手が、マキちゃんで、本当に良かったよ……」
「ちょっと、どうしたの? 今さら何よ! 現役時代は一度も褒めてくれなかったくせに!(笑)」
ジャッキーの訃報が届いたのは、その一年後だった。再会した時は、既に末期の胃ガンにむしばまれていた。
「タヒ期を悟って、わざわざそれを言いに来てくれたのかな、と思ってます」とは、マキの回顧である。
ジャッキーの訃報を報じるテレビのニュースの背後に、「かけめぐる青春」のサビが流れていた。
〈あなたから、私へ
私から、あなたへ
送る言葉は 悔いのない青春 かけめぐる青春〉
リングに青春を燃やしたビューティ・ペアの輝きは、今もって色褪せることはない。
(略)
そんなジャッキーが1998年、鳥取のマキの店まで駆け付けたことがあった。同店の10周年記念で、久々の再会となったが、「かけめぐる青春」を共に歌い、ジャッキーはこう言ったという。
「ビューティの相手が、マキちゃんで、本当に良かったよ……」
「ちょっと、どうしたの? 今さら何よ! 現役時代は一度も褒めてくれなかったくせに!(笑)」
ジャッキーの訃報が届いたのは、その一年後だった。再会した時は、既に末期の胃ガンにむしばまれていた。
「タヒ期を悟って、わざわざそれを言いに来てくれたのかな、と思ってます」とは、マキの回顧である。
ジャッキーの訃報を報じるテレビのニュースの背後に、「かけめぐる青春」のサビが流れていた。
〈あなたから、私へ
私から、あなたへ
送る言葉は 悔いのない青春 かけめぐる青春〉
リングに青春を燃やしたビューティ・ペアの輝きは、今もって色褪せることはない。
233: ID:WHi3++490
>>82
胃がんで若くして亡くなったのは本当にかわいそうだけど
ヘビースモーカーだったと聞くと・・・
胃がんで若くして亡くなったのは本当にかわいそうだけど
ヘビースモーカーだったと聞くと・・・
87: ID:F2E93R7I0
写真、普通にかわいいじゃん
当時のアイドルといってもあぁそうなんだって感じ
当時のアイドルといってもあぁそうなんだって感じ
91: ID:GMY9bHWy0
ん?80万まい?
出荷枚数じゃなくて?
オリコンだと24.7万枚って出てくるが
出荷枚数じゃなくて?
オリコンだと24.7万枚って出てくるが
111: ID:PgVVeyKP0
>>91
80万枚と20万枚前後じゃ全く違う(ヾ(´・ω・`)やん
印象操作がエグイ…
80万枚と20万枚前後じゃ全く違う(ヾ(´・ω・`)やん
印象操作がエグイ…
162: ID:deE7aE2r0
>>111
実態は30万枚以下
ホントに当時流行ったのか?
実態は30万枚以下
ホントに当時流行ったのか?
182: ID:A9r9Zc6G0
>>162
70年生まれの俺でも歌えるくらいには
70年生まれの俺でも歌えるくらいには
76: ID:al5/0z4J0
オリコンは上位のランキングに掲載された推定売上数を合算する仕組みをとっているため、最高位が26位で31週にわたってロングセラーとなった本作は、オリコンの集計上ではレコード会社発表の「80万枚超」よりも下回る枚数(推定数10万枚~20万枚前後)で記録されている可能性が高いです。
103: ID:1jnhsyFR0
リアタイ勢は還暦以上だからよく知らないよな
俺達はキューティー鈴木、工藤めぐみ、タニーマウス、の世代だし
俺達はキューティー鈴木、工藤めぐみ、タニーマウス、の世代だし
234: ID:WHi3++490
>>103
50年前の話だから60代女子がストライクだよね
50年前の話だから60代女子がストライクだよね
122: ID:ZcUEbO410
ビューティーペアは小学生のころブームだったのは知ってたが、ビューティビューティービューティペア~♪のとこだけを繰り返し歌ってたくらいかな
ぶっちゃけそこしか知らん
ぶっちゃけそこしか知らん
101: ID:YEnSRd+A0
当時は宝塚が大ブームだった。けど若い女性にとって宝塚を観劇するのはかなり高いハードルだったらしい
そこで出てきたのは漫画ベルサイユのばら。若い女性の中で大ブームを巻き起こし、それをモチーフにした女子プロレスのビューティーペアが現れて
若い女性が思いっきり食い付いて一大ブームを巻き起こした
そこで出てきたのは漫画ベルサイユのばら。若い女性の中で大ブームを巻き起こし、それをモチーフにした女子プロレスのビューティーペアが現れて
若い女性が思いっきり食い付いて一大ブームを巻き起こした
119: ID:wxPIpSL40
お前らはクラッシュギャルズと極悪同盟の時代だろ
183: ID:A9r9Zc6G0
>>119
クラッシュオタだった妹は本気で極悪同盟嫌ってたからな
クラッシュオタだった妹は本気で極悪同盟嫌ってたからな
10: ID:gaV6oBXa0
元女子プロレスラーyoutuberにハズレなし
92: ID:5N/Hd7lo0
>>10
面白いよねw
面白いよねw
112: ID:4wPCWO2E0
ブルさんのYouTubeで昔の先輩方の話が聞けるのが貴重
125: ID:DzCfzaVK0
ベル薔薇の宝塚は今でも存続してるのになぜ全日本女子が20年前に前に潰れたのか
一番の原因はもちろん経営者一族なんだろうけど25歳定年制をやめたことも大きい
宝塚が110年も人気が続いてるのはトップスターを2,3年で退団させて常に新陳代謝させてるからだな
25歳定年制やめたら団体の人気は安定するかもしれないが上が詰まることによって新たなスターが生まれなくなった
新日も全日も大量退団の後に新スター産まれてるからな
一番の原因はもちろん経営者一族なんだろうけど25歳定年制をやめたことも大きい
宝塚が110年も人気が続いてるのはトップスターを2,3年で退団させて常に新陳代謝させてるからだな
25歳定年制やめたら団体の人気は安定するかもしれないが上が詰まることによって新たなスターが生まれなくなった
新日も全日も大量退団の後に新スター産まれてるからな
139: ID:pdQzDD4y0
>>125
それもあるけどあまりにも男のファンが多くなりすぎたのもある
女子プロの客の大半が若い女子だったころはそこから次世代の選手が生まれていたが
ブルアジャらがFMWやユニバなど他団体に出て以降女子プロの試合そのものに食い付いた男のファンが急増して
対抗戦時代には会場が野郎のプオタだらけになって女子ファンが離れたから
それもあるけどあまりにも男のファンが多くなりすぎたのもある
女子プロの客の大半が若い女子だったころはそこから次世代の選手が生まれていたが
ブルアジャらがFMWやユニバなど他団体に出て以降女子プロの試合そのものに食い付いた男のファンが急増して
対抗戦時代には会場が野郎のプオタだらけになって女子ファンが離れたから
146: ID:5BN/ESZ70
昭和の頃は女子プロレスっていうと女子中学生が熱狂して押し寄せるもんだったよな
ある種運動部の強くてカッコいい先輩に憧れるみたいなもんだったんだろうな
ある種運動部の強くてカッコいい先輩に憧れるみたいなもんだったんだろうな
135: ID:uhzhqYZU0
デビュー曲のかけめぐる青春もいいけどセカンドシングルの青春にバラはいらないもいい曲
引用先:https://hayabusa9.5ch.io/test/read.cgi/mnewsplus/1784937024/
まとめくす:https://2mtmex.com/