1: ID:1W5bQabE9
日刊スポーツ
[2026年8月6日13時33分]
https://www.nikkansports.com/battle/prowrestling/news/202608060000435.html
元プロレスラーの天龍源一郎(76)が6日までにインスタグラムを更新。1970~80年代にかけて日本マットで絶大な人気を誇った正統派プロレスラーのドリー・ファンク・ジュニアさんの訃報を受け、追悼した。
天龍は「お悔やみ ドリー・ファンク・ジュニアさんご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します」と書き出し、「日本のプロレス界に大きな功績を残され、私にも多大な影響を与えてくださった、かけがえのない師匠です」と紹介。自身が大相撲からプロレスに転向したばかりだった当時、武者修行のため渡米し、ドリーさんが開発した固め技「ローリング・クレイドル(回転揺り椅子固め)」を本人に頼み込んで伝授してもらった思い出をつづった。
引退後にトークショーなどを行った際のツーショットも公開し、「ドリーさんから『グッドスチューデント!』と言っていただけたことは、何よりの誇りです」と回想。「いつお会いしても、穏やかに接してくださったドリーさん。思い出は尽きませんが、プロレスラーとして教えていただいたことも、共に過ごした時間も、私にとって生涯忘れることのできない大切なものです」としのび、「ドリーさんから教わり、受け継いだものは、これからもプロレスの中に生き続けていきます。Never Quit ドリーさん、長い間、本当にありがとうございました。どうか安らかに。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。
ドリーさんは4日(日本時間5日)にタヒ去したと、米プロレスOB会カリフラワー・アレイ・クラブから発表された。85歳だった。69年に28歳で世界最高峰のNWA世界ヘビー級王座を獲得。4年3カ月に及ぶ長期政権を築いた。74年の全日本プロレス参戦後は、実弟テリー・ファンクさんとのタッグ「ザ・ファンクス」で日本ファンに絶大な支持を受けたレジェンドだった。
[2026年8月6日13時33分]
https://www.nikkansports.com/battle/prowrestling/news/202608060000435.html
元プロレスラーの天龍源一郎(76)が6日までにインスタグラムを更新。1970~80年代にかけて日本マットで絶大な人気を誇った正統派プロレスラーのドリー・ファンク・ジュニアさんの訃報を受け、追悼した。
天龍は「お悔やみ ドリー・ファンク・ジュニアさんご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します」と書き出し、「日本のプロレス界に大きな功績を残され、私にも多大な影響を与えてくださった、かけがえのない師匠です」と紹介。自身が大相撲からプロレスに転向したばかりだった当時、武者修行のため渡米し、ドリーさんが開発した固め技「ローリング・クレイドル(回転揺り椅子固め)」を本人に頼み込んで伝授してもらった思い出をつづった。
引退後にトークショーなどを行った際のツーショットも公開し、「ドリーさんから『グッドスチューデント!』と言っていただけたことは、何よりの誇りです」と回想。「いつお会いしても、穏やかに接してくださったドリーさん。思い出は尽きませんが、プロレスラーとして教えていただいたことも、共に過ごした時間も、私にとって生涯忘れることのできない大切なものです」としのび、「ドリーさんから教わり、受け継いだものは、これからもプロレスの中に生き続けていきます。Never Quit ドリーさん、長い間、本当にありがとうございました。どうか安らかに。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。
ドリーさんは4日(日本時間5日)にタヒ去したと、米プロレスOB会カリフラワー・アレイ・クラブから発表された。85歳だった。69年に28歳で世界最高峰のNWA世界ヘビー級王座を獲得。4年3カ月に及ぶ長期政権を築いた。74年の全日本プロレス参戦後は、実弟テリー・ファンクさんとのタッグ「ザ・ファンクス」で日本ファンに絶大な支持を受けたレジェンドだった。
19: ID:19XHX/HM0
>>1
ドリーは当時から何というか位置付けが難しかったな
強いんだか弱いんだかはっきりしないし表情も無表情だし 何が凄いのかもよくわからないけど何だかプロレスの重要人物という扱い
よくわからん未だに
ドリーは当時から何というか位置付けが難しかったな
強いんだか弱いんだかはっきりしないし表情も無表情だし 何が凄いのかもよくわからないけど何だかプロレスの重要人物という扱い
よくわからん未だに
41: ID:43nkgeQ20
>>1
世界タッグリーグだっけ?
ザ・ファンクスとブッチャー・シークがバチバチやってた頃に天龍って…居たっけ?って感じ
まぁオレの知らないところで世話になっていたんだな
世界タッグリーグだっけ?
ザ・ファンクスとブッチャー・シークがバチバチやってた頃に天龍って…居たっけ?って感じ
まぁオレの知らないところで世話になっていたんだな
6: ID:4wQCQWt90
ドリーって最強タッグ頃の映像見ても既におじいちゃんな感じよね
3: ID:om3zlGaW0
三大パワーボム
天龍
ゴディ
あと1人は?
天龍
ゴディ
あと1人は?
5: ID:CQHUjTZl0
>>3
川田利明だな
川田利明だな
8: ID:gsq8Erpw0
>>3
大仁田
大仁田
15: ID:ui0Ivl5l0
>>3
実はルー・テーズ
実はルー・テーズ
17: ID:vmmE0FtU0
クラシカルなNWA流のグラウンド、チェインレスリング
10: ID:vmmE0FtU0
ドリー・ファンク・ジュニアのプロレスは天龍ほどバチバチやってなかったけどな
全部寸止めだし
優しいプロレス。
全部寸止めだし
優しいプロレス。
14: ID:IHLHvU/E0
>>10
天龍は途中からはそうだがデビューから数年はドリーに習った技を出してただけって感じよ
馬場からあまり習わなかったらしいのでまんまドリーで唯一オリジナルとして突っ張りしてた感じ
天龍は途中からはそうだがデビューから数年はドリーに習った技を出してただけって感じよ
馬場からあまり習わなかったらしいのでまんまドリーで唯一オリジナルとして突っ張りしてた感じ
13: ID:ui0Ivl5l0
ローリングクレイドルは相手の目を回して気絶させる恐ろしい技だな
11: ID:ovbQEQhs0
vsブロディ・スヌーカー戦でボコボコにされアナウンサーが「ああー、世界のアイドルがめった打ち!」とか言ってたけど、それはないだろと思った
12: ID:Q7YiRxI00
何を喋っているのか聞き取れない
29: ID:qawZBEA40
>>12
俺くらいの天龍ファンになると2割は理解出来る
俺くらいの天龍ファンになると2割は理解出来る
9: ID:IHLHvU/E0
文字だと滑舌良いな
16: ID:aN22hXYq0
そう言えば、ドリーの膝付きエルボーを伝承した人はいるの?
42: ID:PDbsMLQI0
>>16
ドリーより先に亡くなった西村修
ドリーより先に亡くなった西村修
26: ID:Bh7oN2eJ0
笑う犬で知った
28: ID:wn1meyx90
テリー・ファンクとスタン・ハンセンって生きてる?
30: ID:6s8fOjuW0
>>28
テリーは3年前に亡くなった
ハンセンは健在
テリーは3年前に亡くなった
ハンセンは健在
32: ID:wn1meyx90
>>30
あらら
ありがとう
あらら
ありがとう
39: ID:YcWzbrhu0
>>30
ブロディもテリー・ゴディも早逝だったからなあ
三沢鶴田橋本冬木も逝ってしまったし
ブロディもテリー・ゴディも早逝だったからなあ
三沢鶴田橋本冬木も逝ってしまったし
50: ID:6G+u/UH30
戦ってたのは馬場か鶴田だろう
テンるー絡みはそんなにあったのかね
テンるー絡みはそんなにあったのかね
45: ID:0CDdn4cL0
天龍のwiki
入団とともに渡米し、ザ・ファンクスのもとで修行する。相撲時代のプロレスごっこの感触から多少はこなせる算段はあったが、全日本の道場でジャンボ鶴田のボディスラムを初めて受けた際に脱糞するかと思うほど衝撃を受け、大相撲で幕内まで昇進した天龍の自信は崩れ去った。そのさまを見ていた渕正信の「ねえ、プロレスは簡単じゃないでしょ。甘くないんだよ」という言葉は、天龍にとって40年以上経過しても忘れられないものとなった[12]。現役選手だったドリー・ファンク・ジュニアは、1週間から10日に1度程度しか天龍を指導する余裕がないため、毎日のように電話で教えを乞うていた[12]。天龍は、何かにつけジャンボ鶴田と比較するドリーの物言いを嫌ったが、ドリーは倒されることに抵抗がありプロレスに適応できなかったアントン・ヘーシンクの指導に苦心した経験から「プロレスは投げられても負けじゃない。相手に身をゆだねることがスタミナを温存するポイントだ」と諭すように教えたという[27]。ドリーの指導が受けられない間は腹筋ローラーやブリッジで体を鍛えたといい、このトレーニングのおかげで現役を長く続けることができたとプロレス引退後に振り返っている[27]。
入団とともに渡米し、ザ・ファンクスのもとで修行する。相撲時代のプロレスごっこの感触から多少はこなせる算段はあったが、全日本の道場でジャンボ鶴田のボディスラムを初めて受けた際に脱糞するかと思うほど衝撃を受け、大相撲で幕内まで昇進した天龍の自信は崩れ去った。そのさまを見ていた渕正信の「ねえ、プロレスは簡単じゃないでしょ。甘くないんだよ」という言葉は、天龍にとって40年以上経過しても忘れられないものとなった[12]。現役選手だったドリー・ファンク・ジュニアは、1週間から10日に1度程度しか天龍を指導する余裕がないため、毎日のように電話で教えを乞うていた[12]。天龍は、何かにつけジャンボ鶴田と比較するドリーの物言いを嫌ったが、ドリーは倒されることに抵抗がありプロレスに適応できなかったアントン・ヘーシンクの指導に苦心した経験から「プロレスは投げられても負けじゃない。相手に身をゆだねることがスタミナを温存するポイントだ」と諭すように教えたという[27]。ドリーの指導が受けられない間は腹筋ローラーやブリッジで体を鍛えたといい、このトレーニングのおかげで現役を長く続けることができたとプロレス引退後に振り返っている[27]。
48: ID:m6+hYb260
プロレス好きしか知らない地名、テキサス州アマリロ
51: ID:9JI/ISB/0
>>48
ダラスの熱い日のダラスはアマリロと同じテキサス州にあると理解した。
ダラスの熱い日のダラスはアマリロと同じテキサス州にあると理解した。
53: ID:JcfImclb0
スピニングトーホールドで何でギブアップするか
よく分からんかった
よく分からんかった
56: ID:nnXYT9b80
テリーより渋くて好きだったけど。でも実際見てたドリーってスピニングトーホルドととエルボーのイメージでさほど強いイメージはないw
それでも何かリスペクトしてるのって見たことない猪木戦の伝説をずっと聞かされてたからかも。長らく写真でしか知らんかったけど
それでも何かリスペクトしてるのって見たことない猪木戦の伝説をずっと聞かされてたからかも。長らく写真でしか知らんかったけど
62: ID:37Pz7+YD0
実はブッチャーとは仲が良かったんだよな
57: ID:kZJd0apX0
天龍が全日から出て行った1990年は、世界最強タッグリーグの面子が豪華だった
ファンクスもその1組
ファンクスもその1組
引用先:https://hayabusa9.5ch.io/test/read.cgi/mnewsplus/1786009904/
まとめくす:https://2mtmex.com/