生中継がなくなったから
Uと天龍
実質勝ってたのにルールで負けたって体にする必要もなくなった
テレビゴールデン撤退
SWS大量引き抜き
大物外人来日無くなる
この辺の市場の縮小で村社会化したプロレス村がとった措置が
「3カウント完全決着」
やつらがメインでそれやってたらあっという間に人気なくなるでしょ
リング上に、アサヒスーパードライの空き缶が投げ込まれたんだよね
「三冠統一戦」とうたっておいて統一されないから客が怒るのは当たり前。
早い話が客を舐めてんだよ。それでもチケットが売れる時代だったから。
客層が普通のサラリーマンから目の肥えたオタク中心に変化したのが一因かな。
80年代はこれの繰り返しだったもんな
馬場も両リン全盛時代にファンから批判浴びても、簡単に勝敗なんてつけられるかと逆ギレしたとか。
でもドームでのハンセンvsベイダーは両リンでもみんな大満足
長州ジョージvs天龍三沢タイガーのリングアウト決着もな
Uがどうって話ではない
対抗戦は話は別だろ。
特に昭和50年代の全日の場合、両リン・反則
決着でなく完全フォールだったとしても
・2連戦でのいってこい
・ジョー失神
・急所か喉をアクシデント的にロープに痛打
・こっそり乱入or凶器攻撃
がセットでの完全決着だったからなあ。
よほどの実力差がない限り完敗なんて
ことは無かった。
場外乱闘に突入したら場外カウントもストップ
両リン、反則決着で会場内が盛り上がったのは
84年3月の蔵前でのAWAタイトルマッチ
王者 鶴田vsニック 挑戦者の試合で鶴田のレフリー暴行で鶴田が反則負けになった時と
84年4月の蔵前での新日本正規軍vs維新軍の5対5勝ち抜き戦での
藤原vs浜口が両者リングアウトになった時だよね。
前者は、AWAルールにより鶴田防衛、今まで逆のパターンで散々フラストレーションが
溜まってたファンにとっては、ある意味最高の防衛パターンだったからね。
後者は、副将の藤原と副将の浜口が両リンで両者失格になったから
大将の猪木と長州が無傷の状態でシングルマッチを迎える事が出来たからね。
後者に関しては、勝ち抜き戦がただのシングルに
なっちゃった感が強くて、あまりノレなかったなあ
対ハンセンで馬場の反則負けも追加。
消える間際の蝋燭の炎の様な馬場の闘志が良かった。
Uの影響で、完全決着が主流になったってのは、何度もプロレス雑誌に書かれていることだ。
そして1989年4月から馬場が社長に復帰、これでしっくりくるだろ?
復活させて大ヒンシュクを買ったね。不透明決着なんてやるぐらいなら最初からそのカードは
必要ない。平成のプロレスファンが昭和のファンとはもう違っていることに気が付くべきだったね。
ドラゴンストップの時なんて客が怒って途中で帰りだすんだぜ。
あの昭和ののりを平成に持ち込んだらいかんよね。
無効試合じゃなかったけど
藤田健介、藤田ノートンもその三試合に匹敵するダメ試合だったな
代わりに30分時間切れが大量生産されてた
>>60
その時代は地方民としてめちゃくちゃありがたかった
それまでなんて地方のメイン級の試合なんかほとんど10分以内で終わってたからな。
決着つかなくても、長く見れて得に感じたわ。
よく暴動にならなかったな
会場に行ってみてたけど俺も周りの客も怒ってたよ
1年前にドラゴンストップしたのもあったし
試合後、ブーイングも罵声も飛んでたけど何事もなかったかのように次の試合の天コジ入場してきて、何か色々怒ってるのが馬鹿馬鹿しくなった
90年5月から天龍退団後の全日が始まった。不透明な決着はすぐには無くならかったが徐々に完全決着に移行したイメージ。
90年7月の金沢の三冠戦ハンセンvsゴディ。武生の世界タッグも第三者が乱入することで王者が負けても価値を落とさないように配慮したイメージ。
1989年、後楽園でビールが投げ込まれたハンセンvs鶴田がきっかけ。
その年の最強タッグも史上初めて、すべてクリーン決着だった。
そういえば最強タッグのブッチャー&シン組2年目の年にブッチャーもシンも3カウント取られた試合があった気がする。
彼らが負ける時は決まって反則負けだから3カウント取られて少し驚いたよ。
「従来のプロレスとは違い、不透明決着をなくした」というフレーズがついてきたので、全日や新日も殿様商売ができなくなった。
そして、ハンセン鶴田などが決定的にした。
まぁ、実際のところはよく分からん
内容が激闘なら文句は出ないんだよな。ブロディvs天龍とか
馬場ハンセンなんかもそうだな
文句はなかったけど、普通に延長コールはあった。
引用先:http://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/wres/1565074493/
まとめくす:https://2mtmex.com/