藤波辰爾 猪木さんとの伝説のフルタイムドローIWGP戦語る「猪木さんの意地感じた」

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藤波辰爾 猪木さんとの伝説のフルタイムドローIWGP戦語る「猪木さんの意地感じた」




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4/2(日) 19:20配信

よろず~ニュース

トークショーを行った藤波辰爾=都内

プロレスラーの藤波辰爾(69)が2日、都内で開かれた「アントニオ猪木写真集 1960~1988」(ワニブックス刊)の発売記念トークショーを行った。元ゴング編集長の小佐野景浩氏とともに、昨年10月にタヒ去したアントニオ猪木さんの思い出を語った。

藤波がレスラー代表、小佐野氏がメディア代表、この日は所要で欠席したミュージシャンのファンキー加藤がファン代表として、監修の3人で東京スポーツ社が保有する秘蔵写真から厳選。1960年のデビューから、政界への挑戦を前にした1988年まで、リング上の模様による「闘魂」、戦いから離れた姿の「夢」、2冊組写真集に収められた。

「闘魂」のラストショットは、1988年に猪木さんが藤波に挑戦したIWGP戦。フルタイムドロー後、両者がセコンドに肩車されているもの。感極まった表情の猪木さん。藤波は「当時の猪木さんが45歳。プライドの高い猪木さんが付き人をやっていた僕に、挑戦すると言った覚悟を、そのまま持ってリングに上がってきた」と回想。小佐野氏は「挑戦者決定リーグ戦で、猪木さんが最後ベイダーに勝って、さあ藤波勝負だ、という流れでしたもんね」と付け加えた。

60分ドローの王座戦を藤波は「改めて猪木さんのすごさを感じた。最後、ゴングを聞くんだけど、それから僕をひっくり返して上に乗ってきた。猪木さんのプライド、意地でしょうね」と語った。小佐野氏は「猪木超えを期待する声、猪木頑張れという声もある難しい状況。猪木が負けたら引退では、という声もあった。藤波さんも複雑だったのでは」と述懐した。

藤波は「選手は師匠を超えたい、猪木さん、馬場さんからフォールを取りたいという夢はある。僕にも野心はあったが、試合が進む中で不思議な空間で、終わってほしくない、ずっとこのまま居たい、という感じだった」と振り返った。両者ともに動きが落ちない中で迎えたドローを告げるゴング。「8月でクーラーもない横浜文化体育館は暑くて、テレビのライトでキャンバスは熱かった。試合前に食事制限とか、目いっぱい体を調整したけれど、試合が終わって2日間、おしっこが出なかったから。完璧な脱水症状だったけど、猪木さんに失礼があってはいけないと、倒れることはなかったね」と続けた。

1989年に猪木さんは政界に進出。小佐野氏は「猪木さんの最後のIWGP戦。この試合があったから、自分で区切りをつけた気はしますね」と語った。藤波は「僕は越中に肩車されていて、長州が猪木さんを肩車するけれど、絵作りじゃなくて自然にそうなったなあ」と、両雄の写真を見て、しみじみと振り返った。

他には、新日本プロレスの道場開きの写真を見ながら「レフェリーを含めて6人だけだけど。猪木さんが笑顔で自分の城ができたという感じだったね」と目を細めた。小佐野氏は日本プロレス追放から1カ月で道場を完成させた当時のスピード感を指摘。藤波も道場新設を手伝い「猪木さんの邸宅の庭が、日本プロレスを追われた翌々日に行ったら、ものすごい立派な庭が更地になっていた。あの立派な鯉、植木、石垣はどこにいったのかな」と語った。続いて太田区体育館の旗揚げ戦の写真に、藤波は「あの頃は(当時の猪木さん夫人)倍賞千恵子さんが宣伝カーのウグイス嬢やってましたもんね。すごい豪華ですよね」と懐かしそうに語った。

猪木さんが亡くなって半年。藤波は「猪木さんを振り返ることが多いけれど、常にそばにいるような感覚。この感覚はたとえ5年たっても変わらないのかな。もう現実にはいないんですけど、過去じゃない。薄れていく感覚がないんですよね。リングに立つと、どこかで見られているように思う」と、いまだ薄れない師匠への尊敬を口にした。なお、同書特製ケースのカバーは藤波が選んだもの。「この猪木さんの目の鋭さに僕は何度もやられました。試合中のときも、この目でね、動けなかったですよ」と語った。

 

5: ID:m5IAjLeN0
「ベイダーとシングルでやらせてください」

 

18: ID:21SV6zFB0
>>5
ベイダーのデビュー戦でやれや

 

7: ID:98E9xHRE0
飛龍革命

 

9: ID:W+pLQ5Mg0
鮮やかに決める技はナイフの切れ味

 

12: ID:+dQwAnMb0
×倍賞千恵子
⚪︎倍賞美津子

 

13: ID:21SV6zFB0
誰も損しないブックだろ

 

14: ID:5gMloohM0
シングルでのフォール勝ちを許された長州
タッグでしかさせてもらえなかった藤波

 

15: ID:GtHHFR7U0
ああ?やれるのか本当にお前!

 

19: ID:KWk1KN0i0
ハッキリ言おう私は藤波を後継者だと思った事は一度もない

 

29: ID:a4YRURC00
>>19
猪木の後継者はいないけど
猪木の最高傑作は藤波

 

20: ID:WUFEodFh0
辰っつぁん性格良いから好き。プロレスラーもけっこうクセある人多いからなw

 

25: ID:W+Kqf1/Q0
確か、生放送の放送時間内に終わらなくて
後続番組のニュースステーション内で
結果が伝えられたんじゃなかったっけ?

 

28: ID:P2VsJJ/o0
ドラゴンは色んなことを無かったことにしてしまう達人だからなあ。
あまり信用されないのも頷けてしまう。
たぶん本人は悪気があるわけじゃなくてその時は本気なんじゃないかな。
だからこそ余計にタチが悪いんだけど。

 

30: ID:P2VsJJ/o0
ドラゴンボンバーズ、自身の引退カウントダウン、
橋本の引退から復帰へのゴタゴタなど発言が二転三転して面白い。

 

32: ID:obxcdLWz0
「こんな会社辞めてやる!」と言って雪の札幌をパンツ一丁でさすらう男
それがたっつぁん

 

33: ID:rQVTkPP10
やっぱりJrヘビー級の時のほうが輝いてたよなあ

 

36: ID:QsDoA0AP0

藤波三大必殺技

ドラゴンスープレックス
ドラゴンロケット
ドラゴンリングイン

 

37: ID:EiaKQ5IK0
藤波と長州ってどちらが人気あったの?

 

40: ID:GHtwci9g0
>>37
最初は藤波
ライバル関係から長州が上になって晩年は藤波のファンはいなくなった

 

38: ID:SC1fFQmF0
蔵前で猪木が長州にグランドコブラで勝った試合は見に行って感動した

 

42: ID:3lYHcdQp0
アメリカ武者修行中、突然猪木から会おうと連絡があり空港に迎えに行ったら猪木とマサ斎藤がいてそのまま三人でディズニーランドへ遊びに行った話を最近蝶野チャンネルでしてた

 

43: ID:MPjT0zkD0
藤波vs猪木なのに毎回猪木vs藤波と言われる

 

45: ID:nrQTe+Cp0
こんにゃくだけど かなり真面目 真面目過ぎた マッチョドラゴン

 

引用先:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1680433382/

まとめくす:https://2mtmex.com/




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