馳浩と佐々木健介って今思うと奇跡のタッグだよな?

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馳浩と佐々木健介って今思うと奇跡のタッグだよな?




1: ID:UqosPaavd
レスラー界でも一二を争うぐらい性格の悪い二人がタッグ組んでるだもん
この二人を越えるぐらいのタッグってまあ今後出た来ないんじゃない?

 

4: ID:kPGu9oOc0
真壁もいまだに恨む「先輩レスラーのしごき」新日本の道場では日常茶飯事だった

近年のスポーツ界では体罰の問題がたびたび報じられ、指導者がクビになったり、組織の問題として社会問題に発展するケースもある。

だが、昔の新日本プロレス道場では「いじめ」「シゴキ」「体罰」は日常茶飯事だった。
殴って指導するというのは当たり前で、正直に告白すると、私も「格闘技の世界はそういうものだ」という古い世代の人間だったから、
あまり問題だとも思っていなかった。
私が新日本を辞める少し前、佐々木健介が入門したばかりの真壁伸也(現・刀義)をひどく殴っているのを見て、
さすがに「もうやめろ」と止めに入ったことがあるが、そこまでいくことは珍しい。
多少殴られた程度では、誰も気にしなかったのは事実である。
真壁は何かのインタビューで、若手時代の「地獄」について語ったことがあるというが、
確かにいまの時代であればとうてい認められないような体罰が横行していたことは、私も認めざるを得ない。
https://i.imgur.com/xlHDKlj.jpg

 

6: ID:lyhIOqfId

オリンピックに出場し、大学卒業後は母校で古文の教師として教鞭をとっていた馳と、家庭環境に恵まれず「長州好き」の一点突破で高卒後にジャパンプロレスの門戸を叩いた健介

長州に理想の父親像を求めるほど心酔していた健介と、新日道場の指導教官的ポジションにありながら「俺のプロレスの師匠はジャイアント馬場さん」と公言していた馳

長州と袂を分かち全日に移籍した馳と、長州のために新日を取る辞めてWJへ移籍した健介

何から何まで対称的な二人がタッグチームとして上手く機能していたことは奇跡的かもしれない

 

13: ID:abCrdN740
馳と健介はどっちもプロレス以外の所で有名になったのは凄いよ

 

14: ID:LY16MniK0
健介のパワースラムと逆一本背負いはカッコよくて好きだった

 

18: ID:f65rN6c60
馳健タッグ時代に馳が「健介の目が怖い、力ずくで全部覆しそうなところが怖い」とインタビューで語ってた記憶がある
後年いろいろ聞いて納得できた

 

19: ID:xL63dqi3p
馳って健介のことを相当見下していただろうな。
学歴、スポーツでの実績、プロレスの上手さ、
どれを取っても馳の圧勝だもの。

 

28: ID:d9cLASzX0
>>19
でも佐々木の方が遥かに優遇はされてた
馳は越中くらいの位置付けで常に噛ませ犬
扱いだった

 

31: ID:DIonZvVO0
>>28
時期にもよる。
当初は、馳>>健介だった。
93年、馳はG1で準優勝。
同年、健介はパワーウォリアーとしてブレイク。
この辺が対等。
そして、健介が素顔でエースとして持ち上げられた
(G1優勝等)のは、馳が新日を辞めた97年以降だよ。

 

36: ID:moXCDFz30
>>31
96年のG1直後のWCWとの合同トーナメントで優勝した辺りから健介トップ路線始まったと思ってる

 

27: ID:x4weqCPgd
いま思えば何でこの二人が人気だったのかな
三銃士の下って感じではあったが
野上、飯塚組よりは人気だった

 

29: ID:moXCDFz30
フレッシュ差が有ったからでは?
馳はコスチューム代えて地味なテクニシャンから脱出したし健介もこの頃のがむしゃらな姿は好きだった
後、武藤&蝶野、越中&飯塚、マシン&ヒロ、スタイナーズと対戦相手に恵まれたことも大きいと思う

 

34: ID:iwRcXOu+0
馳が全日に行った時にちゃんと全日向きの体を作ったのは立派だったと思う
三沢戦はやることやってあっさり逆転負けって実に馳らしい試合だった

 

35: ID:5uiY763b0
負け試合でも存在感を示せる技量はさすがと言うしかない。

 

引用先:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1649078065/

まとめくす:https://2mtmex.com/




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